「唐物茶入」 の関連商品を含む検索結果 19件

送料無料
(唐物・中興名物)平安東山 笹田仁史作 岩城文琳写茶入〔送料込〕

ますや雲湧堂

32,200

(唐物・中興名物)平安東山 笹田仁史作 岩城文琳写茶入〔送料込〕

★画像の商品は売り切れましたので、お取り寄せ商品です。 納期についてはすぐにご連絡いたします。 ※名物茶入れを忠実に再現し、仕服もその茶入れに添っていた物を再現しています。 ◇伝来 岩城貞隆〜伊達政宗〜坂元金弥〜藤田美術館 ※この茶入に鳥襷緞子裂仕服が添えられています。裂地は正絹で柔らかく、中綿入りです。篝糸も滑りが良いです。 ☆寸法 高さ7.8cm 胴径6.4cm 蓋径2.8cm 重さ80g 鳥襷緞子仕覆(正絹)付 説明書付 共箱 ★この商品はますや茶店、増田がサポートします。 ☆お取り寄せ商品の注意事項! 当店の商品間違いで発送した場合を除き、お客様のご要望で商品を交換ご希望の場合と返品希望の場合は、往復の送料をご負担願いますことをご了承いただきましてご購入くださいませ。●岩城文琳 陸奥国の戦国武将岩城貞隆が所持していたところからこの名がある。 一名を「上天文琳」ともいう。 口が締り、捻返しは浅く、肩先が丸味を持ち、胴が膨らみ、胴以下は同じように窄まり、ほぼ球形に近く、底廻りは鼠色の土見、底は細かい糸切で、大きな山欠けがある。 総体に柿金気色に少し紫色を帯び、黄味を帯びた黒飴釉が全面に細かい横段をなし、一部に鶉班があり、その間に銀金気がムラムラと現れ、甑廻りに黒飴釉の一線が廻り、胴上から飴色を含んだ黄釉が二股の轡形になだれ掛り置形となっている。

送料無料
茶道具 濃茶器 京焼 唐物 大名物 銘 利休物相茶入 写し

お茶道具の駒屋

30,000

茶道具 濃茶器 京焼 唐物 大名物 銘 利休物相茶入 写し

由来 物相とは飯を盛る器の事で、茶入れの形が物相に似ている事と千利休が所持していた事で銘がつけられました。別名「木葉猿」とも言います。 【伝来】千利休→徳川家光→伊達政宗→大阪枡屋平右衛門→岩崎家→静嘉堂文庫美術館品名唐物物相茶入 大名物 銘「利休物相」(木葉猿)仕服:輪違緞子茶入れ本体サイズ 口径:約2.5cm胴径:約6.2cm高さ:約5.5cm ※手作りの為、若干の個体差がございます。おおよその目安としてお考え下さい。箱 桐箱入り陶歴●●笹田有祥 陶歴●●昭和27年 京都に生まれる昭和47年 京都私立工業試験陶磁器技能者養成所卒業昭和48年 手塚 央 氏に師事。昭和50年 独立。登り窯にて唐物茶入の写しを中心に作陶平成 8年 京都市北区西加茂にて工房を建て、茶道具の製作。現在に至る。 その他●閲覧環境によって実際の色味と少し違って見える場合がございます。●手作り品の為、大きさや仕上がりが画像の物と少し異なります。 画像はサンプル画像です。物相とは飯を盛る器の事で、茶入れの形が物相に似ている事と千利休が所持していた事で銘がつけられました。別名「木葉猿」とも言います。 【伝来】千利休→徳川家光→伊達政宗→大阪枡屋平右衛門→岩崎家→静嘉堂文庫美術館

【お取り寄せ】 茶道具 濃茶器 大名物唐物 上杉瓢箪茶入写し

お茶道具の駒屋

28,930

【お取り寄せ】 茶道具 濃茶器 大名物唐物 上杉瓢箪茶入写し

.............【作品詳細】............. ■作品名:大名物唐物 上杉瓢箪茶入写し ■作者:笹田 有祥(京都) ■本体サイズ 胴径:約6.0cm 口径:約3.0cm 全高:約6.5cm(蓋は含みません) ※1点ずつ手作りの為、大きさに若干の個体差が生じます。おおよその目安としてお考え下さい。 ■お仕服:東山金襴 ■箱:桐・共箱入 ............................................. ※※1点ずつ手造りのため、釉薬の景色や大きさに個体差があり、画像の物と若干異なります。予めご了承下さい。 ※※お客様のご覧になっておられる環境によっては作品の色味が実際と少し異なって見えてしまう場合がございます。 .............【作者経歴】............. 笹田 有祥(ささだ ゆうしょう) 昭和27年 京都に生まれる 昭和47年 京都私立工業試験陶磁器技能者養成所卒業 昭和48年 手塚 央氏に師事。 昭和50年 独立。登り窯にて唐物茶入の写しを中心に作陶 平成8年 京都市北区西加茂にて工房を建て、茶道具の製作。上杉瓢箪は天下の六瓢箪茶入(稲葉・真珠庵・佐久間・茶屋・玉津島)随一と言われております。いかにも唐物らしい整った形をしており景色に富んだ味わいがございます。【伝来】足利義政→村田珠光→武野紹〓→大内義隆→大内義長→毛利元就→大友宗麟→大友義統→豊臣秀吉→上杉景勝→上杉綱勝→徳川将軍家→加賀前田家→徳川将軍家→紀州徳川家→野村得庵(野村美術館)

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 小堀間道写紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ふくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

40,216

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 小堀間道写紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ふくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (輪輪礼中・49360) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 草花文段紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

38,060

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 草花文段紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (輪野り・45680) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 波上梅花文紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

38,390

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 波上梅花文紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 サイズ約15.8×15.2cm 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (R4/野申丸り・45500) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした 袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴(しょは)織とは 里村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸(ぬきいと)が経糸(たていと)を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前があります。

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 七宝段紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

42,680

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 七宝段紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (輪山り・53100) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 中棗 老松蒔絵 内銀地 中村恭蔵作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

119,350

【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 中棗 老松蒔絵 内銀地 中村恭蔵作

サイズ約直径7.3×高7.3cm 作者中村恭蔵作 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【中村恭蔵 (本名 宗恭)】 1932年昭和07年 石川県山中町に生まれる 1946年昭和21年 師 父に師事 1982年昭和57年 東京三越本店で林野庁長官賞 1987年昭和62年 裏千家茶名 宗恭を拝受 1992年平成04年 裏千家準教授拝受 1994年平成06年 加賀古陶 上野与一に陶芸を師事 -------------------- 【お能の老松(祝儀曲)】 「老松は、長い年月を経た樹齢の松:転じて、長寿繁栄の象徴」 都の人が 天神のお告げで筑紫の安楽寺へ行くと、老松の精が現れ、飛び梅と追い松の伝説を語って舞をまう。 能の「老松」世阿弥作をもとにした常磐津・富本・清元・長唄・一中節などの曲名。 -------------------- 棗(薄茶器)の歴史「松屋久政茶会記」 初座に唐物肩付茶入を床に飾り、中立のときに茶入は水屋に収め、後座の床に松花茶壺が飾られ、薄茶のときに薬籠(中次)が用いられています。町衆によるわびの茶風は天目茶碗から高麗茶碗へ唐物茶入を飾り、塗物茶器で茶を点てるように広まっていきました。 棗(薄茶器) 植物の棗の実に形が似ていることからその名がついた 種類は、棗(大・中・小・一服)、雪吹(大・小)、尾張、白粉解、茶桶、面中次、寸切、金輪寺、茶器の十三種に裏千家七代如心斎の時代に規格整理されました。 その他に平棗、老松、飯器棗、四滴など変わったものも多くあります。

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「未」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 市松宝羊紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

37,290

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「未」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 市松宝羊紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (同門S55年3月号帛紗より)(輪野中・52500) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 松蔓紹巴 坐忘斎家元御好 朱又は青又は若竹 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

68,640

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 松蔓紹巴 坐忘斎家元御好 朱又は青又は若竹 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱木箱 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (同門S55年3月号帛紗より)(山申りR2/山棒野中・85800)千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 出帛紗 干支「戌」】 干支出帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 有栖川戌文紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (出服紗・出袱紗・出ぶくさ・だしぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

71,500

【茶器/茶道具 出帛紗 干支「戌」】 干支出帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 有栖川戌文紹巴 土田友湖作(千家十職 袋師) (出服紗・出袱紗・出ぶくさ・だしぶくさ)

表千家用 サイズ約縦27.3×横28.5cm 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱木箱 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (同門S55年3月号帛紗より)(礼輪中礼山り・95000) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした 袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴織(しょはおり)とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸(ぬきいと)が経糸(たていと)を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前があります。

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「子」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 福子若松紹巴 濃紫 土田友湖作(千家十職 袋師)  (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

38,500

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「子」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 福子若松紹巴 濃紫 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (同門S55年3月号帛紗より)(輪輪中・り・54000) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 寿々志呂紹巴(すずしろ) 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

44,308

【茶器/茶道具 古帛紗】 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 寿々志呂紹巴(すずしろ) 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (輪礼吉・54380) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「寅」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 寅格子紹巴 萌葱 鳥の子又は 茜 金茶 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ)  (干支寅...

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

38,280

【茶器/茶道具 古帛紗 干支「寅」】 干支古帛紗 唐物帛紗 紹巴織り 正絹 寅格子紹巴 萌葱 鳥の子又は 茜 金茶 土田友湖作(千家十職 袋師) (古服紗・古袱紗・古ぶくさ・こぶくさ) (干支寅...

裏千家用 素材正絹(絹100%) 作者土田友湖作(千家十職 袋師) 箱化粧箱・たとう紙 注意●画面の色と実物の色合いが異なって見える場合があります。 ●裂地の取る位置により柄の出方は換わります。 (同門S55年3月号帛紗より)(輪輪輪山中・り・54000) 【コンビニ受取対応商品】千家十職とは 茶道に関わり三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)に出入りする塗り師・指物師など十の職家を表す尊称である。明治期に現在の十職に整理された。(大正時代に三越百貨店が命名したという説もある) 土田友湖(つちだゆうこ)とは 武士を廃業後、「越後屋半兵衛」と名乗って西陣織仲買人となった。その傍ら袋物の仕立ての修行をし、表千家6代・覚々斎に引き立てられて茶入の仕覆(しふく)などを縫うようになった。 2代以降、当主の通称は半四郎 であり隠居して剃髪すると友湖を名乗る。5代までは仕覆を生業とした袋師で、12代(1965年に襲名)、現在は茶道具の茶入の仕覆や服紗、角帯などを作る。 紹巴しょは織とは 野村紹巴愛用の織物を「紹巴」織といいます。つづれ織に似ていて緯糸ぬきいとが経糸たていと を包み覆うような織り方であり、緯糸によってのみ、柄デザイン・配色を織り上げています。したがって柔軟性、伸縮性に優れ、織物として薄くて、軽くて型くずれしにくいです。紹巴織を使ったお点前 があります。

こちらの関連商品はいかがですか?

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 紫交趾阿古陀 金彩画 中村翠嵐作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

61,985

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 紫交趾阿古陀 金彩画 中村翠嵐作

サイズ約直径11.4×高9.7cm 作者中村翠嵐作 箱木箱 (ス礼大・86950)火入(ひいれ)とは 煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のことです。 中に灰を入れ、熾した切炭を中央に埋めて、喫煙の際の火種とします。 切炭の埋め方は、火入の灰にあらかじめ炭火を入れて灰を温めてから、炭火を取り出して火箸で灰をならし、その中央に、客が煙草をつかうときに上部が燃えて灰とならないように、切炭を黒い部分を残して熾し、熾きた方を下に黒いほうを上にしてして、煙管で吸い付けやすいよう正面から見てやや斜めに頭が少し出るように埋め、灰押で灰を押さえ、火箸で筋を入れます。 切炭は、表千家と武者小路千家では右に、裏千家は左に傾けます。 灰形は放射状に筋を入れたものが多く用いられますが、流儀、火入により異なるものもあります。 香炉の小振りな物や向付を見立てで使用したのが始まりのようで、煙草盆と火入の組合せは、材質、形状、煙草盆との大きさ、煙草盆の縁の高さと火入の高さ、火入の釉色と煙草盆の塗色などが考慮されます。 銅器や鉄器はふつう用いられず、陶磁器が主に用いられますが、染付・呉須などの磁器には真塗や溜塗など、志野・織部・唐津などの施釉陶には一閑張など、備前・信楽など自然釉陶には木地・焼杉などを合わせます。 【2代 中村翠嵐】 1942年昭和17年 京都生まれ 1961年昭和36年 京都市立日吉ケ丘高校美術課程陶芸家卒業 陶磁器上絵付業を営む家に生まれ、父初代翠嵐に師事 1974年昭和49年 2代 翠嵐を襲名 1984年昭和59年 第06回京都・清水焼展グランプリ受賞 第09回全国伝統的工芸展NHK会長賞受賞 1987年昭和62年 京都・清水焼伝統工芸士に認定 1993年平成05年 125年ぶりの海外展「現代の京焼・清水焼パリ展」に出品...

【茶器/茶道具 花入 置用】 浅黄交趾焼き 糸目 永楽善五郎作 (置き花入れ・置花入れ・置き用・置用)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

127,600

【茶器/茶道具 花入 置用】 浅黄交趾焼き 糸目 永楽善五郎作 (置き花入れ・置花入れ・置き用・置用)

サイズ約上直径9.5×高18.6cm 約底直径7cm 作者永楽善五郎作 箱木箱 (限定丸吉り・159500) 【コンビニ受取対応商品】『千家十職の一家、土風炉・焼物師』 初代が奈良の西京西村に住んでいたため西村姓を名乗り土風炉を制作していました。 3代の時に小堀遠州の用命を受けた際に「宗全」の銅印をもらい作品に「宗全」の印を捺印していました。 しかし、天明の大火で印章を失ってしまいました。 その後、10代が三千家の助けを借りて再興を試み、この頃から千家に出入りするようになったと考えられています。 11代の時に紀州藩10代 藩主・徳川治寶の別邸西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、作品を賞して「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印「永樂」の銀印を拝領した。 以後、作品に永楽の捺印をするようになりました。 そして、12代が襲名するときに永楽姓に改姓し、土風炉に加えて茶碗を作るようになりました。 【初代 西村善五郎(宗禅)】 生年不詳〜1558年永禄元年 【2代 西村善五郎(宗善)】 生年不詳〜1594年文禄03年 【3代 西村善五郎(宗全)】 生年不詳〜1623年元和09年 【4代 西村善五郎(宗雲)】 生年不詳〜1653年承応02年 【5代 西村善五郎(宗筌)】 生年不詳〜1697年元禄10年 【6代 西村善五郎(宗貞)】 生年不詳〜1741年延享元年 【7代 西村善五郎(宗順)】 生年不詳〜1744年延享元年 【8代 西村善五郎(宗円)】 生年不詳〜1769年明和06年 【9代 西村善五郎(宋厳)】 生年不詳〜1779年安永08年 【10代 西村善五郎(了全)】 1770年明和07年〜1841年天保12年 【11代 西村善五郎(保全)】 1795年寛政07年〜1854年嘉永07年 紀州藩十代藩主...

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 黄交趾 青海波 即中斎好み 真葛香斎作(宮川香斎作)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

198,000

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 黄交趾 青海波 即中斎好み 真葛香斎作(宮川香斎作)

サイズ約直径11.5×高11cm 作者真葛香斎作(宮川香斎作) 箱木箱 (28期の野・261500) 【コンビニ受取対応商品】火入(ひいれ)とは 煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のことです。 中に灰を入れ、熾した切炭を中央に埋めて、喫煙の際の火種とします。 切炭の埋め方は、火入の灰にあらかじめ炭火を入れて灰を温めてから、炭火を取り出して火箸で灰をならし、その中央に、客が煙草をつかうときに上部が燃えて灰とならないように、切炭を黒い部分を残して熾し、熾きた方を下に黒いほうを上にしてして、煙管で吸い付けやすいよう正面から見てやや斜めに頭が少し出るように埋め、灰押で灰を押さえ、火箸で筋を入れます。 切炭は、表千家と武者小路千家では右に、裏千家は左に傾けます。 灰形は放射状に筋を入れたものが多く用いられますが、流儀、火入により異なるものもあります。 香炉の小振りな物や向付を見立てで使用したのが始まりのようで、煙草盆と火入の組合せは、材質、形状、煙草盆との大きさ、煙草盆の縁の高さと火入の高さ、火入の釉色と煙草盆の塗色などが考慮されます。 銅器や鉄器はふつう用いられず、陶磁器が主に用いられますが、染付・呉須などの磁器には真塗や溜塗など、志野・織部・唐津などの施釉陶には一閑張など、備前・信楽など自然釉陶には木地・焼杉などを合わせます。 【真葛焼き】 【宮川香山(本名 虎之助)】 1842年天保13年 宮川香山は京都府真葛原に生まれる 1916年大正05年75才没 明治時代の日本を代表する陶芸家・陶工です 高浮彫、真葛焼きの創始者。 1866年天保13年 幕府から御所献納の品を依頼される名工に 1870年明治03年 薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘される 1871年明治04年...

【茶器/茶道具 炭道具】 火箸 桑柄 木村清五郎作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

13,288

【茶器/茶道具 炭道具】 火箸 桑柄 木村清五郎作

サイズ約全長25.7cm 作者木村清五郎作 箱木箱 (R4/棒目棒大)(・16610) 【コンビニ受取対応商品】【初代 木村清五郎】 1918年大正07年 新潟県三条市生まれ 1934年昭和09年 県立三条商工学校卒 1946年昭和21年 復員後金工製品の製造を習得 1954年昭和29年 茶道具・華道具を制作 1967年昭和42年 水指にて中小企業庁長官賞を受賞 南鐐製品では清雲という号で襲名する。 【2代 木村清五郎】 1949年昭和24年 三条市に生まれる. 1973年昭和48年 初代清五郎に金工製造を師事する。 1974年昭和49年 中小企業庁優秀賞受賞 1992年平成04年 に2代目木村清五郎を襲名、 2009年平成21年 伝統技術に新しい手法で「割カン」を完成させる 南鐐製品では清雲という号で襲名する。 火箸(ひばし)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、炭斗から風炉や炉に炭を入れるのに使う金属製の箸のことです。 砂張、真鍮、鉄などがあり、多くは鉄製で、細工の方法としては打ちのべ、素張り(空打ち、巣打ち)、鋳ぬきの三種類があり、象眼などで模様を入れたものもあります。 風炉用と炉用とに大別され、風炉用は全部金属製で、炉用は木の柄がつき、普通は桑柄が最も多く、利休形でほかに唐木、黒柿、桜皮巻などがあります。 台子・長板の柄杓立に、柄杓に添えて立てる火箸を、飾り火箸といい、これは必ず総金属製で、頭に飾りのある真の位の火箸です。 ほかに水屋用に、長火箸といい、鉄製で柄のところを竹皮巻きにし麻糸で巻いて留めたものがあります。

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 五色 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,760

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 五色 山崎吉左衛門作

サイズ約縦12×横22cm 作者山崎吉左衛門作 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (R5/棒野棒大)(・15660) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 銀もみ五色 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

15,345

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 銀もみ五色 山崎吉左衛門作

サイズ約縦14.6×横18.2×厚み3.3cm 作者山崎吉左衛門紙業 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (N0:784-32/N-10吉丸の吉大)(・18900) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 水色 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

18,892

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 水色 山崎吉左衛門作

サイズ約縦14.4×横18×厚み3.2cm 作者山崎吉左衛門作 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (申吉棒大・23630) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 白色 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,047

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 白色 山崎吉左衛門作

サイズ約縦14×横18×厚み3cm 作者山崎吉左衛門作 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (No5棒野棒大)(・15060) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 紅白 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,153

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 紅白 山崎吉左衛門作

サイズ約縦13.8×横18×厚み3.1cm 作者山崎吉左衛門作 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (R5/棒目棒大)(15510) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 粉引 森里陶楽作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

14,850

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 粉引 森里陶楽作

サイズ約直径12.6×高8cm 作者森里陶楽作 箱木箱 (・18360) 【コンビニ受取対応商品】3代 注意:景色(模様)・色は変わる場合があります。 当店にお任せください。 【初代 森里陶楽(森里留吉)】 明治生まれ〜昭和33年没 三重県伊賀出身 大正末期に京焼陶工として上京。色絵仁清やいろいろな焼物を作陶。三島手も手がける 【2代 森里陶楽(本名 良三)】 国立陶磁器試験所で陶土の研究の後、先代のもと作陶生活に入る。 非常に繊細な三島手などに見られる抜群の技法には高い評価を得る 1926年大正15年生まれ、京都府出身 先代陶楽の三男として出生 師 初代の陶楽に師事 京展入選・陶芸家クラブ会展 市長賞など各賞受賞 京都府美術工芸作家協会 会員 京焼・清水焼の伝統工芸士認定 2005年平成17年 逝去 【3代 森里陶楽(本名 秀夫)】 京焼清水焼の伝統工芸品にて日本商工会議所会頭賞を受ける 1959年昭和34年 京都生 1977年昭和52年 京都市立日吉ヶ丘高校美術工芸コース日本画科卒 1981年昭和56年 京都府陶工高等専門学校卒 師:手塚玉堂や、父の2代 陶楽 1996年平成08年 3代 陶楽を襲名 2006年平成18年伝統的工芸品公募展 日本商工会議所会頭賞受賞 工学博士山本徳治氏の釉薬研究会所属:伝統工芸士 ・・・・・ 参考資料 ・・・・・ 【嘉祥窯 初代(本名森岡嘉助)】 ※1914年(大正3年)五条坂に工房を構え、嘉祥窯を創業 ・・茶道具商「野村昭嘉堂」の伏せ窯(嘉祥窯の作品を全部買い取る契約)として、唐物写し茶入や瀬戸釉茶入、京焼茶碗、伊賀花生けなどを焼く 【嘉祥窯 二代目(本名森岡正雄)】 ※1912年(明治45年)京都府亀岡市に生 ・...

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 楽茶碗 木蓮 吉村楽入作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

22,352

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 楽茶碗 木蓮 吉村楽入作

サイズ約直径12.5×高7.5cm 作者吉村楽入作 箱化粧箱 注意楽焼の釉薬は酸に弱いことがあります。 楽焼の粘土は粗い目の素地を使用しています。 (R6/春茶の湯T1-03野野丸中・27940) 【コンビニ受取対応商品】【2代 吉村楽入】(京都楽窯会所属) 1929年昭和04年 京都市に生まれる 1948年昭和23年 京都府陶工訓練所終了 名人 初代 父の吉村甚四郎氏に師事、楽入を継承 1985年昭和60年4月同会会長に就任 【3代 吉村楽入(本名 重生)】 1959年昭和34年 京都おまれ 1982年昭和57年 同志社大学経済学部卒 1983年昭和58年 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース終了 1984年昭和59年 京都府陶工訓練校成形科卒 師祖父・父 楽入に師事 1989年平成01年より「楽入窯」創始・主宰 2000年平成12年 【重生】印を泉涌寺熊谷龍尚和尚より拝領 2001年平成13年 伝統工芸士認定 2004年平成16年 萬福堂 3代 吉村楽入を襲名 京都工芸美術作家協会会員 沖縄県立芸術大学非常勤講師 楽家の初代長次郎が千利休の創意を受けて造った茶碗で黒楽の釉・けずりで形を整えた!! 熱を伝えにくい土の美・お湯が冷めにくい性質と色彩的にも緑の写り具合が大変よく、まさにお茶のために作られた茶碗。 五山の口造りで幽玄の世界を表現 しています。 利休の命により、初代長次郎が作った理想の茶碗であり、二代目常慶が豊臣秀吉より楽の字の印を賜わる。楽家の脇窯の一つに金沢の大樋焼(飴楽)があります。現在多くの陶芸家による写し物の茶碗がある。 成形のぐあいを作行きといい、 まず手にとって眺めて全体を見る、感じることが大切。 作者印のある高台は見どころの要です。 土味は土の色合い。硬軟を知り陶工の手腕をあらためます...

注意事項

1。ビカム(運営:株式会社メタップスワン)は商品の販売を行なっておりません。本サイトは、オンライン上のショップ情報をまとめて検索できる、商品検索・価格比較サイトです。「唐物茶入」の「価格」「在庫状況」等は、ショップのロゴ、または「ショップへ」ボタンをクリックした後、必ず各オンラインショップ上でご確認ください。その他、よくある質問はこちらをご覧ください。→「よくある質問・FAQ

2。価格、送料、納期やその他の詳細については、商品のサイズや色等によって異なる場合があります

商品カテゴリ